ギターのレッスンでも、オカリーナのレッスンでも、クラリネットでも。「歌って。」と言うんだけど、誰もなかなか本気にしてくれません。

皆さん、楽器を構えると、歌がどっか飛んで行っちゃいます。特に楽譜とがっぷり向き合ってしまうと、音符が並んだような音が聞こえてきます。

腹式呼吸を何か特別な呼吸法だと思う必要はありません。

深くて、ゆったりと気持ちのいい呼吸が自然できているとき、結果的には、それが腹式呼吸になっているということです。

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夜、眠っている時、気管支系の病気でもない限り、肩で呼吸している人はいません。お腹が膨らんだり、しぼんだりします。誰もが自然に腹式呼吸になっています。

朝、目が覚めて起き上がると、活動に必要な呼吸に切り変わります。肋骨を広げ、肩で息をします。この時、腹式呼吸から胸式呼吸に切り替わっています。これも実は自然なことなのです。呼吸そのものは、姿勢や運動、気分によって、深さや量、速さなどが、さまざまに変化します。

その中で腹式呼吸が注目されている理由というのは、深く安定した持続可能な呼吸が歌や楽器の演奏に必要だからです。

また、最適なバランス、循環につながるため、ダイエットや健康につながる呼吸だとも言われています。

さて、呼吸の主役である肺は、それ自身をコントロールして、広げたり縮めたりすることができません。

腹式呼吸とは、横隔膜と骨盤底の間にある腹部の筋肉を使って、横隔膜を下げることで、息を吸う呼吸法のことを言います。

自然な腹式呼吸を身につけるため、私はレッスンを通じて、このような方法を勧めています。

ゆっくり5つ数えながら、鼻から花の匂いをかぐようなイメージで息を吸います。そのときに下腹に手のひらを当てて、臍下丹田に意識を集中させます。

ゆっくりと10から20くらい数えながら、鼻または口から息を吐きます。このときも臍下丹田という体の芯にある深い泉から息が出ているようなイメージを保ちます。

この吸って、吐いてを途中で止めないで、循環するようなイメージで5〜6回繰り返します。

無理をしないことが大事です。浅い呼吸から、徐々に深い呼吸にしていくと効果的です。

日常この呼吸法をやっていただくのにお風呂で湯船につかっているときがいいと勧めています。

体がリラックスできますし、水圧がかかるので、無理なく呼吸ができます。また、毎日の習慣となり、腹式呼吸が身につきやすくなると考えるためです。

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 今日、仕事の合間に時間があったので、散歩をしました。その方が運動になるんだろうと、いつもより少し早足で歩きながら、ゼイゼイ、ハァハァ、言いながら、考えました。

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 遠い遠い昔、生物が進化してきた過程で、ある種の生物が海から陸に場所を変えてさ、なんで、エラを捨てて、肺を発達させたんだろうかって。そんなことを考えました。

 最初、酸素は生物にとっては毒だったわけでしょう。その毒、酸素をわざわざ体内に取り入れて、二酸化炭素を放出するのってさ。エラのままでも酸素を取り入れることはできたでしょう? エラのように素通しの方が安全だし、効率がいいと思うんだ。

 でも、きっと効率だけじゃない、ただ酸素と二酸化炭素を交換するだけじゃない。必然があったはずだ。そういえば、赤ちゃんは生まれるとすぐに、オギャーって泣くよねぇ。陸に上がった生物は、きっと、声を出す必要があったんだ。エラ呼吸のままだと、声を出せない。だから肺で呼吸するようになったんじゃないかって思った。

 声で「うったえる」、「うったう」から、「うたう」へとつながっていく。それくらい、歌うことは自然なこと。そして、ときには、歌うように笛を吹く。それも自然なこと。自然なことを、自然なままに、息をして、歌って、笛を吹いていたいね。

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 岩美町にはだいたい各地域、集落ごとに小学校があった。私の住む田後にも小学校はあったし、それぞれの地に校門や石碑などのモニュメントが残されていたりする。跡地利用されている校舎もあるが、現存している校舎はもう残り少ない。この旧本庄小学校校舎も、工芸村や障がい者施設などが入っていたが、いよいよ取り壊されることになった。

 ここでやっていたオカリーナ教室も一時移転することになった。この小学校の卒業生でもないし、決して感傷に浸っているわけではないが、一見するとちゃんと修復すればまだ使えそうに思えてしまう。もちろん、雨漏りも相当ひどいということだから、瓦屋根の葺替だけでも数百万円かもっとかかるだろう。耐震補強も必要となると、文化財として指定されていないのであれば、取り壊されるのは、やむを得ないのだと思う。

 他の地域では、住民や卒業生などの保存運動の成果があって、残った校舎もある。企業が入居することになって、きちんと建て替えることなく、新しい建物に生まれ変わった鳥取高等農業学校校舎の例(外部サイト:近代建築Watch)もある。しかし、活用方法が見つからず、放置されていたり、転用に次ぐ転用で外見は廃墟としか見えないようなものもある。

 そんなことを思いながら、きれいに掃き清められた校舎の内部の写真(上記)を1枚だけ撮影した。生まれ変わる校舎を祝福したい。鳥取県観光案内「とっとり旅の生情報」のいわみ工芸村のページに、廃校になった当時の写真が残っていたので、ここに引用します(下記の写真をクリックすると、そのページが開きます)。いわみ工芸村は既に移転していますので、ここにはありません。

土があるっていいなぁーって、思う。
耕された畑、野山の草原を見て、「おいしそうな土だなぁ。」と言うと、人は笑う。
こっそり、ぼくも空に向かって笑う。

そこに萌える草花があって、木が茂れる。
青空や雲が風を呼び、鳥とたわむれる。

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田んぼや畑があって、竹が連なり、虫や、小動物が身を寄せる。

すべてはこの土と緑がかたちづくる。それは、いのち。

海や川、水辺が生命の母であると同時に、
土と緑が生命を育て、空間をつくる。
人は、どうしてこれを、ただ日常の風景として見過ごせるんだろう。

あなたの呼吸も、あなたの思想も、あなたの食べるものも、
ここから生まれ、消えてゆくのだということを
きっとあなたが死ぬまでに、そのことだけを知ってほしい。

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ダウンロードしたフリー写真素材を使用しています。

パソコン教室のエフセブンは、鳥取県岩美町にある。白砂青松(はくしゃせいしょう)の風光明媚な景色が広がるこの岩美町の海岸一帯は、山陰海岸国立公園の主要な一部となっていて、世界ジオパークネットワークに加盟した山陰海岸ジオパークの一部でもある。「地球の歴史」を刻んだ自然の豊かな風土である。

このあたりには、原子力発電所はない。いちばん近い中国電力島根原子力発電所は、島根県の県庁所在地である松江にあり、岩美町から直線距離で120km離れている。120kmというのは、このあたりの人々にとって、日常の生活圏の距離ではないから、ふだんは「近くに原子力発電所がある。」という意識はない。

昨年夏すったもんだの末、とうとう再稼働してしまった関西電力大飯原子力発電所となると、ここからはずいぶん遠くに感じている人が多い。道路の延長距離を見ると、岩美町から大飯までは、187kmもある。感覚的に「日帰りがつらい。」距離に感じる。ふと疑問に思って、地図上で直線距離を測ってみた。そうしたら、直線距離では、120kmであった。つまり、島根原子力発電所から大飯原子力発電所までは、240kmあって、ここ岩美町がちょうどその中間に位置しているというか、「挟まれている。」のだ。

確実に言えること・・・としてしまうと、誰かに「その根拠を示せ。」と言われそうだが(実際にインターネット上ではこうした市民と憲兵のような問答が既に各所で見られる。)、少なくとも確率的に高いと思われることは、現在福島県で起きていることは、日本全国どこでも起こりうる。それに対して、今の人類はなすすべもないことが証明されている。

数日前、安倍首相はブエノスアイレスで、「(汚染水は)原発の港湾内の0.3平方キロ・メートルの範囲内で完全にブロックされている。数値は、最大でもWHO(世界保健機関)の水質ガイドラインの500分の1だ。日本の食品や飲料水の基準は世界で最も厳しい。現在も将来もまったく問題ない。抜本解決に向けたプログラムに責任を持って着手している。」と言ったそうだ(発言文、読売オンラインより引用)。「完全に」「まったく」というのは、あきらかなウソだ。ビジネスの取引では、こういったウソは「ハッタリ」と言って、成功に導くカギだと言われている。現実にIOCは、世界的な世論を無視して、こうした発言の内容をプラスに評価した。安倍首相も東京都知事(名前を思い出せない)もビジネス的には成功した。2020年オリンピックは東京に決定した。

ぼくは、喜べない。こんなことをビジネスライクに進めることがいったい誰のためになるんだろう。

なにより、政府の重要な中心人物が「ハッタリ」を押し通したことに驚いた。これは、そこに日本が突き進むことを宣言したということだ。「そこ」には確実に戦争も存在する。政府が「ない」と言っていることを、「ある」という人物は、「貴様!根拠を示せ!勝手なことを言うな!」と言われるだろう。過去にそういう時代があったのではなかったか。杞憂なら杞憂でいい。ただ、このままでいいはずがない。もう長いこと、困窮している人々がいる。命の危機にさらされている人々がいる。何よりもまずすべての人が安心して暮らせる世の中を目指してほしい。