本物を持つことの意味

ふと、まわりを見渡したときに「本当に必要で欲しいと思ったもの。」というのは、今でもそばにあります。

もちろん、実在する「モノ」として存在していないものでも、本物は、単なる記憶ではなく、しっかりと根をはやした意識の中にどっしりと、存在しています。

妥協すること

常に妥協はするし、妥協することがあります。必要かどうか、予算もありますので、あきらめることもあります。それは、それです。

でも、一方であきらめる口実を無理やり「作っている」ときがあります。

欲しいのか、必要なのか。そこが一番のポイントです。

妥協した結果、あいまいなものを持ってしまうと、あとがたいへんです。

次から次にステップアップを考えることになります。

どーんと最初にいいものを買っておけばよかったのですが、なかなかこれまで、そうできませんでした。

タカミネやマーティンのギターを買うまでに10本くらいギターを買っています。

クラリネットは幸い、最初に買おうとしたブージー・アンド・ホークス製が売られていなかったので、セルマーの10Sを19歳のときに買いました。今でも使っています。

オカリーナも、最初に偶然ヨシツカを勧めてくれる人がいて、注文することができました。宗次郎を知らなかった頃です。本谷美加子のオカリーナをいいなと思って始めたオカリーナでした。あの頃ヨシツカのオカリーナに出会わなかったら、今、オカリーナを吹いているかどうかわかりません。

「注文して3年かかる。2万円くらい。」と言われて注文する地方の40代の男性は当時、あまりいなかったのかも知れません。

本物に出会うということは、幸運以外の何ものでもありません。タイミングもドンピシャリなら、迷うことはないでしょう。