まわるまわる世界がまわる

「あんさん、何言うても結局はゼニだっせ。」

今、見えるのは、おカネがえらい世界。常識だの固定観念だの見せかけの「型」がモノを言う世界。

本来の、自然の世界は、死んだら食われるか、朽ちて土に帰るかだけ。おカネや常識、固定観念にとらわれる必要はない。

人間は、これまでずっと、あっちもこっちも、いつでもどこでも、手の届く見える範囲の人間だけで世界を作ってきたと思う。

そこで役に立つのは、その範囲に通用する、常識や固定観念を元にしたシステムだ。

おカネは、そのシステムの中の重要なアイテムとして生まれた。

「型」が見えることで、人間は安心だ安全だと思い込む。おカネによって、その「型」を手に入れられる。

さて。この世界は結局のところ「奪い合う」ことで保たれている。

もし雨が降っていて、100万円の傘が1本きりしかなければ、その傘に100万円を出せるたった一人だけが雨に濡れずに歩くことができる。

おカネはいとも簡単に人を裸にする。

「そんなんいやや言うたかて、そういう世界に生きとるんやで。」

「死んだら食われる。朽ちて土に帰る世界に戻れないやろ。」

で、冒頭の「結局は・・・」のセリフに戻るわけね。

朽ちる世界には、戻らんでもいいと、思う。

おカネに頼ってもいい。同時に捨ててもいい。ただ、世界がまわることをイメージする。それだけで、一歩進めるような気がする。

もっと進んだ成熟した未来は、おカネはあるけど、同時におカネがなくてもまわる世界なんじゃないかと、今、想像してみるのです。

それも、イメージするだけでいい。一人の世界が変われば、世界が変わる。これまでもずっとそうして世界はまわってきた。

まわるまわる、世界は、まわる。

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