私たちの暮らしの中に、ITによる自動化の恩恵は既に身近ないろんなところに現れている。自動化というと、自動車の自動運転のような大掛かりなものを想像するかもしれないが、複雑な手続きを簡単なものにする仕組みそのものが自動化だと思えばいい。そういう意味では、ITとはまったく関係のない「鹿威し」のようなものも自動化といえる。樋(とい)を引いて、湧水を竹の仕掛けに流し込み、一定量が溜まったら、池に流し込み、仕掛けが戻るときに竹が音を出す。湧水があれば、無人で水を池に流し、音を出す。これも立派な自動化だ。

ITによる自動化というのは、この手続きの中に電子的なプログラムが含まれるものをいう。電子ジャーがおいしくご飯を炊き上げるのも、ITによる自動化のひとつだ。電子ジャーに組み込まれたプログラムによって「火加減」が調節される。このように自動化によるメリットには、まず第一に「省力化」ということがある。極端な場合は「何もしなくても」あるいは「ワンアクション」ですべてが完了する。

昔SFの世界では寝ていたベッドが時間になると勝手に起き上がり、壁から朝食が出てきて、食べ終わると、食器が流しに勝手に運ばれて、歯磨きアームが出てきて、整髪料のスプレーが頭にかけられ、ドライヤーで乾かし、ロボットが服を着替えさせる。実現可能なこうしたことが実際には実現していないのは、省力化には「必要度」「必然性」があるかどうかが考慮されるからである。この例は通常の暮らしの中では必要がないが、介護が必要な場合には役に立つだろう。

また、自動車の自動運転も現代では実現可能な技術ではあるし、一部には実用化されているが、普及はしていない。この例では「安全性」が最も問われている。それにこれから、もっと身近に自動化の影響が現れるとするならば、最も問われることになるのは「倫理性」なのだろうと思う。クローン生物が簡単に作られ、医療ロボットも普及するだろう。なんでもかんでも自動化されればいいかというと、考えるべきことはたくさんある。

「省力化」「必要度」「必然性」「安全性」「倫理性」これらすべてがクリアされるのなら、ぜひ自動化してほしいのが、政治、外交の世界だ。人間臭い政治、外交を望む人も多いとは思うが、理不尽に命を落とす人があまりに多すぎる。ITによる自動化により、「ロボットに支配される」幻想は捨ててほしい。政治、外交の闇によって支配されているのが人間だ。その人間の闇が戦争を起こす。