インターネットを利用すること、というと、2000年頃までは、メールとホームページだけと言っていい状況でした。しかし現在2016年、昭和の時代も20世紀も、気がつけば歴史の過去のページになろうとしています。時代は確実に動いています。

インターネットが、単に道具の一つだった時代から、身に付けるもの、保存するもの、他の道具とつながるものへと進化しています。その結果、木々に葉が繁り、一つ一つの葉に小さな葉脈が広がっていくように、利用シーンが生活の中に浸透しつつあると言っていいでしょう。

テレビが家庭に浸透し始めた頃、「有害だ。」「中毒になる。」「低俗だ。」と騒がれた時代があったように思います。電話もおそらくそうだったでしょう。「会って話をすればいいのに。」と多くの人が考え、気味悪がったそうです。レコード、カメラなど、似たような歴史は、これまでにたくさんあったでしょう。新しいメディアが登場すると、人々にはメリットは極めて限定的で、デメリットが大きく感じられる。未だに多くの方が、インターネットに拒否感を持っているというのも、デメリット「害」だと思われる部分にとらわれているからなのだと思います。

何ごとも、見て、感じ、考えることが必要です。見たい・・・ダメ。面白い・・・ダメ。考えない。では、何も始まりません。(日本の性教育も同じことが言えると思います。性教育については、ここではこれ以上触れませんが。)

見て、感じ、考えることで、一人一人の広がりを共有することが大切です。インターネットはその全てを担うメディアです。私たちのような専門家は、どんな利用方法があるのかを提案することができます。

まずデメリット、「害」ということを考えてみましょう。インターネットに限らず、皆さんの日常の周辺には「害」になるものがあふれています。

包丁やナイフ、ハサミなど、武器として使えるものがあります。これらは、用途に応じて限定したものを、正しく保管し、正しく使っているので、普段は「害」になるものという意識を持たなくて済んでいる一例です。

武器にはならなくても、燃えるもの、毒になるものもたくさんあります。背の高い家具など、ある条件下では危険なものも多くあります。

もし、あなたが自殺しようと考えたり、人に危害を加えようと思ったなら、他にも使えるものがたくさんあります。電気コードやネクタイで首を絞めることができます。コンセントにささったままのドライヤーをお風呂に投げ込んだらどうなるでしょうか。日常の足となっている自動車はどうでしょうか。物騒な話はこれくらいにしておきましょう。

では、インターネットの「害」だと思われていることは、どんなことがあるのでしょう。

インターネット依存症ということがよく言われます。中毒という言葉もよく使われていますが、依存症と意味が異なるので、ここでは使いません。仕事で勉強で使っている時間以外にもパソコンやスマートフォンから離れられない。メールやメッセージを頻繁にチェックする。他のことをしていると、イライラする、落ち着かないなど。症状も軽いものから、現実と仮想現実との境界が分からなくなるなど重症なものまであります。

インターネットは世界中に繋がっているので、見ようと思えば、国内では違法なポルノや虐待、殺人などの映像を見ることができます。また、不当に高いものや、偽物を売りつけたり、個人情報をだまし取るようなサイトもあります。脱法ドラッグや、麻薬を手に入れることもできます。

自殺サイトや、出会い系サイトなどもあり、実際に被害が生じています。

スマートフォンの場合、定額や割引などの制度があり、以前ほどではありませんが、多額の通信料が発生するということもあります。

いずれもインターネット以前にもあったことですが、インターネットを通じて「人知れず」できてしまうところが一番の「害」なのだろうと思います。

この記事は書きかけです。また後日追記もしくは、書き直します。